「大石昌良」(おおいしまさよし)さんを知っていますか?
ゲームやアニソンを手がけるシンガーソングライターです。
※「オーイシマサヨシ」というカタカナ名義でも活動中
当記事は、オーイシマサヨシさんの明るい曲の裏側にある「キャリアと葛藤」についてまとめています。
目次
オーイシマサヨシさんについて
オーイシマサヨシさんは、元々はバンド「Sound Schedule」(サウンドスケジュール、通称サウスケ)をやっていました。
ボーカル&ギターでして、2011年頃のライブ映像をみるとめちゃくちゃ若いし、茶髪ですねw
その後、紆余曲折あり、アニメやゲームの作詞作曲、仮歌などをするようになっています(後述します)
けもフレ主題歌「ようこそジャパリパークへ」の作詞作曲でブレイク
アニメファンはご存知「けものフレンズ」の主題歌「ようこそジャパリパークへ」の作詞作曲で一躍ブレイクしました。
主題歌を歌っているのは声優たち。
その声優に渡す「仮歌」を、大石さんは担当していました。
さらに、仮歌の動画をネットで公開した所、人気が出て、まさかの「仮歌」を集めたアルバムが発売!
※当然「ようこそジャパリパークへ」も入っています
アニソン界のおしゃべりクソメガネ(自称)
自称、アニソン界のおしゃべりクソメガネです。
ニコ生関連のイベントに出ていると、とにかく喋りまくりっています
今日の会場で「おしゃべりクソ眼鏡!握手してください!」って声をかけてくれた君。そう、君だ。僕は普段眼鏡もかけてないし無口なので、君が声をかけたソレはおしゃべりと眼鏡が取り除かれたただのクソだ。いいかい?ただのクソだよ。よく僕のステルスを見破ったね。声をかけてくれてありがとう🤓
— 大石昌良【オーイシマサヨシ】 (@Masayoshi_Oishi) 2018年5月27日
身長は170cm、体重52kgのポッキー(他称)
身長170センチ、体重52キロだそうです。劇細。
今日体重計買ったよ!身長170cm体重52.8kgで体脂肪率9.2%だったよ!みんなが僕のことポッキーて言う理由がわかった気がしたよ!
— 大石昌良【オーイシマサヨシ】 (@Masayoshi_Oishi) 2014年3月28日
ギターが上手い おしゃべりアコギ
ギター、うまいです。
Go!Go!GUITARという雑誌の中で、おしゃべりアコギという企画をやっています。
Go!Go!GUITAR 2017年12月号から連載開始しています。
ということで、大石昌良さんの基本的なことを紹介しました。
ここから先は「オーイシマサヨシ」がどのように誕生したのか語っていきます。
なぜ大石昌良はアニソンを歌い始めた?ピザ屋のバイトを辞めるまでの話
私は元々、サウスケを知っていたので、「何故アニソン?」と思いました。
そこで、インタビュー記事を色々と見たところ、大きな葛藤と決断があったことがわかりました。
信念と現実との間で。20代の頃の葛藤
自分のやりたい信念と、現実の間で「どちらをとるのか」という葛藤が誰にでもあります。
オーイシさんも創作者であるがゆえ、そんな葛藤に悩まされた時期があったようです。
Tom-H@ck そうやって我を通したくなる気持ちって、若い頃はめっちゃありましたよね?
オーイシ 泣くほどあった。もう、泣き叫びながら「俺は、この曲をシングルにしたいんだあああ!」って。
一同 ははは(笑)。
Tom-H@ck それ、いくつのときですか?
オーイシ 20歳とか21歳とか。
OxT×MYTH & ROID合同インタビュー|オーイシマサヨシとKIHOWを交えて聞く、Tom-H@ckが関わる2つのユニットの今 (2/4) – 音楽ナタリー 特集・インタビュー
1999年にSound Scheduleを結成し、2001年にメジャーデビューしていますが、若き日の葛藤が垣間見えます。
アニメオタクに対する偏見があった2000年台初期
私もアニオタの端くれなので分かるのですが、昔はアニメを見ている=「キモい」というイメージが大きかったですよね。
最近はカジュアルなオタク文化も浸透、あとはネットの影響力もあり、オタクというのも市民権を得ています。
オーイシマサヨシさんもアニメ好きだったそうですが、公には言えなかったのだとか。
大石 僕は2001年にメジャーデビューしたんですけど、2000年代頭の頃は確かに言えなかった。そんな発言をしたら後ろ指を指されるというか、「えーっキモい!!」「ヲタクなの!?」「もっと恰好つけてよ」と言われてたでしょうね。今でもたまにそう言われるように、あの頃だったらもっときつい言葉が飛び交っていたかも知れないです。まして「萌え系が好き」と言ってしまった暁には……。
2000年代頭頃は一般的に「萌え文化が根づいてない」どころか、「気持ち悪いもの」とされていた時代。個人的には、「このアニメはめっちゃ面白いなぁ」「心がすごく動く!!」と心の中で騒いでいたにも関わらず、社会的にアニメの存在が当たり前の文化として浸透していなかったせいもあって、口に出して言えなかったのは事実です。
アニメへの進出のきっかけとは?ー大石昌良特別インタビュー延長戦(前編)|Nizista (ニジ★スタ) – オタクカルチャー専門WEBマガジン
当然、サウスケ時代(バンド時代)は、アニソンに近いものは歌っていません。
硬派なロックバンドとして活動をしていました。
再度、音楽で飯を食うと決意する
2006年サウスケを解散しました。
ソロでの活動もやりつつ、くすぶっていた時期があったようです。
日々の飯のため、2013年の33歳の頃までピザ屋のバイトをしていたのだとか。
オーイシ:ほんとにそれだと思いますね。僕、5年前までピザ屋さんでバイトしてましたから。そのピザ屋さんをやめたきっかけがあって、配達のときに「なんか見たことある名前だなあ」と思っていて、インターフォン押したら出てきたのが、21、22歳くらいのときについてくれてたマネージャーさんだったんです。もう恥ずかしくて、バイクでビザ屋さんに帰るときに号泣してしまって。「俺は東京に音楽をやりに来たんだ」って思って。で、ピザ屋さんに帰って店長さんに「すいません。今入ってるシフトでやめます」って言って辞めて、当時所属してた事務所も辞めて、そこから始めたのが音楽制作の仕事なんです。
葛藤と回り道を経て、アニソンシーンのど真ん中へ。4年ぶりのシングルが示す、充実の現在地――オーイシマサヨシ インタビュー | ダ・ヴィンチニュース
アニソンデビューのきっかけは「勝手に応募された」から
ピザ屋を辞めて、アニソンデビューし、道がひらけ始めます。
そのきっかけは意外なことに、「マネージャーに勝手に応募されたから」らしいです。
結果、選考を通り、野球アニメ「ダイヤのA」のテーマ曲『Go EXCEED!!』の主題歌を歌うことになりました
この曲が歌われたのが2013年。
奇しくも先程ピザ屋を辞めた年とほぼ同じ時期です。
ドラマの主人公のような展開です。
音楽で食う(君じゃなきゃダメみたいのヒット)
その後、現在のオーイシマサヨシ名義を2014年に立ち上げます。
同年、月刊少女野崎くんの主題歌「君じゃなきゃダメみたい」がヒット。
オーイシ:……あのね、俺、Tomさんとの活動を通してこそ得ることができた、音楽活動をやっていくに当たって大切な「答え」があるんですけど。
Tom:おっ、聞きたい。
オーイシ:それは「食えるか、食えないか」、です。
Tom:そこは“君じゃなきゃダメみたい”(ソロ名義のシングル曲。アニメ『月刊少女野崎くん』のエンディングテーマ)をやったこと大きいよね? あれが世の中に大きく受け入れられたから。
オーイシ:あれは煌めきをくれたよね(笑)。アニソンを通ったことで、聴いてくれる人たちのことを考えるようになったんです。さいたまスーパーアリーナや横浜アリーナで、何万人もの人たちの前でライブができるのって、すごいことだから。自分たちが面白いと思ってやっていることに人がついて来てくれるのって、本当に幸せなことなんですよ。
アニソン界に入ったのは33歳の超遅咲き
ダイヤのAでアニソン界にデビューしたのは33歳でした。
オーイシさん本人が言っているように夢のある話です。
何をするにも遅いということは無い。
オーイシ:言っちゃえば、超遅咲きですからね。アニソン界に入ったのは33歳だし、なかなかないですよ。夢がありますよね(笑)、昔から知ってるディレクターさんとかにも「いやあ、オーイシくんは夢あるねえ」って言われるし(笑)。たとえばバンドが解散になったり、ソロ活動を始めても事務所を転々としたり――あまり苦労話をしたいわけではないんですけど、決して順風満帆だったわけではない音楽人生だったので。
葛藤と回り道を経て、アニソンシーンのど真ん中へ。4年ぶりのシングルが示す、充実の現在地――オーイシマサヨシ インタビュー | ダ・ヴィンチニュース
音楽を作ることはサービス業である
オーイシさんは音楽はサービス業と、ある時気付いたそうです。
──最初に、これじゃマズイって思われたのっていつぐらいでした?
オーイシ:意外と遅くて、2012年とか13年とか、もうホントに4、5年位前ですね。アニメコンテンツに携わらせて頂いたっていうのが、一番大きかったかもしれないですね。
幅が広がって、要は「音楽を聞いてくれるスタイルにも色んな形があるんだな」って思ったのが、きっかけだったんですよね。音楽ファンに向けてだけ、楽曲や自分の音楽を落としこもうとしてたんですけど、でもアニメファンの皆さんも、こんなに凄く自分の音楽を必要としてくれるんだなとか、そういうことに気づき始めてから、「あっ!これって、音楽を作ることって、つまりはサービス業なんだな」と、ようやく大人になれた。そんな感じでしたね。
その結果、今のアコースティック・ギター一本での弾き語りスタイルに落ち着いて言ったのだとか。
「ようこそジャパリパークへ」を絶賛する有名人たち
仮歌が得意なフレンズの大石お兄さんは「ようこそジャパリパークへ」で一躍大人気となりました。
この曲、実は多くの人に「絶賛」されています。
星野源は1日60回「ようこそジャパリパークへ」を聴いている
星野源さんはパーソナリティを担当しているANN(オールナイトニッポン)の中で曲を再生したそうです。
星野源さんと言えば、昨年は紅白歌合戦にも出たりと、今一番ノリにのっているアーティストであり俳優じゃないですか。その方が「1日60回は『ようこそジャパリパークへ』を聴いてる」と発言したって……。しかも書き込みを追っていくと、普段は絶対にアニメには接しないような星野源さんファンの女性の方々が「源ちゃんがそこまで聴いてるならと私も聴いてみました」と書き込んでいたり。星野源さんの影響力も、この現象を後押ししていく力としてかなりあったと思います。
すごーい!きみは楽曲を作れるフレンズなんだね!—大石昌良『ようこそジャパリパークへ』特別インタビュー(前編)|Nizista (ニジ★スタ) – オタクカルチャー専門WEBマガジン
平井堅は即ポチった
平井堅さんは2017年6月4日の「Love music」というTV番組出演時にこんな事を言っています。
- 「とにかくメロディーがおいしいところだらけ」
- 「サビもAメロもBメロも全部サビみたいな曲」
- 「ひと聞きぼれして、ポチッと買いました」
- 「ドッタンバッタン大騒ぎ 『きた!』と思って」
【まとめ】オーイシマサヨシさんと「人を喜ばせる」こと
オーイシマサヨシさんが、アニソンを歌うに至った軌跡をまとめると
- 20歳前後でロックバンドとして活動(サウスケ)
- バンド解散後は、ピザ屋のアルバイトをやりながら、食いつなぐ日々
- 33歳の時に「やはり音楽に専念だ」と決めたところで運良くアニソンデビュー
- 「ようこそジャパリパークへ」で大ヒット
という感じ。
※最近だと名作アニメ「SSSS.GRIDMAN」の主題歌「UNION」を歌っていましたね
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個人的に一番心に残ったのは次の言葉です。
「人を喜ばせたい」っていう気持ちが芽生え始めたのが30歳を超えてからなんですけど、やっぱり人って、心が動くところに集まってくるんですね。で、集まったところに、それこそお金だったり人望だったり名誉だったりが付随してついてくるわけですけど、その根底には人を喜ばせる、人の心を動かそうとする、エンタメ心があると思ったりします。
葛藤と回り道を経て、アニソンシーンのど真ん中へ。4年ぶりのシングルが示す、充実の現在地――オーイシマサヨシ インタビュー | ダ・ヴィンチニュース
彼の作るエンタメ作品はこの「人を喜ばせたい、人の心を動かしたい」という思いが溢れている。
だからこそ、楽しいのだと思います。
【追記】オーイシさんのライブDVDが最高すぎました