星野源さんの「Family Song」の人生を切り取る優しい視点が好きです。
アルバム「POP VIRUS」に入っているこの曲の歌詞の意味を考察しつつ、凄さを解説します。
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目次
星野源 Family Songの歌詞の意味を考察・解説
星野源 Family Songの歌詞の意味を考察・解説します。
サビの歌詞に見る「人生のリアリティ」と「優しい視点」
この曲で一番印象的な「サビの部分」から
※以下、Family Songから歌詞を引用します。
ただ 幸せが 一日でも多く側にありますように
悲しみは 次のあなたへの 橋になりますように
ここのリアリティがスゴい。
普通なら「幸せが長く続きますように」と表現すると思います。
しかし、リアルな人生は異なっていて、
幸福も不幸も、それぞれ長くは続かないし、途切れ途切れにやってくる。
闘病生活も体験し、生死/人生について深く考えた星野源。
そんな源さんだからこその「人生のリアリティ」が垣間見えます。
では、「幸せが増えること」に対して「不幸(悲しみ)」をどう考えているか?
悲しみは 次のあなたへの 橋になりますように
という歌詞の前提にあるのは「不幸(悲しみ)は避けられない」という発想です。
これもまた、人生のリアリティでして、悲しみは受け入れるしか無いよなあ、と実感します。
しかし、それで終わらず、人生を言祝ぐのがこの曲の良いところ。
「悲しみは、次に繋がる」
この発想、視点に「大きな優しさ」を感じます。
現代の「家族」とはなにか?
Family Songで歌われる「家族」とはなにか?
現代では、「家族」と言っても
- 事実婚
- 同性のカップル
- ポリアモリー(複数恋愛)
など色々な形態が現れて、そしてそれが許容されつつあります。
そんな中、ステレオタイプな「父親、母親、息子、娘」的な家族だけが、家族と呼べるのか?
そんな疑問から作られた曲だということが分かります。
以下のインタビューが面白いです
星野:「恋」のときもそうだったんですけど、家族やファミリーってめちゃくちゃポピュラーな言葉じゃないですか。ちょっと普遍的すぎるというか。それをなんとなくの印象ではなく、この機会にちゃんと考えてみたくて。そんななかで、「恋」のときに題材にした恋愛と同じように、家族というものもどんどんかたちが変わってきていると思ったんです。恋愛のかたちが変わっていくのにしたがって、必然的に家族のかたちも変わってきてるんですよね。これからは両親が同性の家族も増えてくるだろうし、そういう多様化のなかでちゃんとそれを受け止める器の大きい「これからの歌」をまたつくりたいと。もう血のつながりとか一緒に暮らしているかどうかとか、そもそも人間かどうかっていうのも関係ないんじゃないかって。そういうことを考えながら「なにが家族なんだろう?」って思ったとき、相手のことを何の見返りもなく心から無事であるように願えるとか、少しでも幸せであるようにと思えるとか、そういう関係を家族というのだろうと思って歌詞を書きました。
FamilySongの歌詞
出会いに意味などないけれど 血の色 形も違うけれど
いつまでも側にいることが できたらいいだろうな
が言う通り、血がつながっていなくても家族です。
男性同士、女性同士でも家族ですし、複数人いても家族です。
一緒に住んでいなくても、遠距離恋愛でも、家族です。
「相手の幸せや、無事を願っている」心の繋がりこそを、「家族」と呼ぶのです。
Family SongのMVに見る「当たり前」の崩壊
Family SongのMV(ミュージックビデオ)では「ステレオタイプな家族の当たり前」に真っ向から立ち向かっています。
MVを見て分かる通り
- 星野源(母親役)
- 高畑充希(父親役)
- 藤井隆(娘役)
- 河村“カースケ”智康(Dr・おばあちゃん役)
- 長岡亮介(Gt・娘役)
- 小林創(Pf・息子役)
と性別が全て真逆になっていますね。
映像の美しさと、源さんが母親役を演じるという面白さ。
そして、裏側には、この曲に込められた思いが感じ取れる素敵なMVです。
星野源Family Songの歌詞表現の凄さを勝手に考察
先程までは、星野源Family Songの「曲テーマ」について語ってきました。
今度は個人的に感心した「歌詞表現の凄さ」について考察したいと思います。
日常を感じる「具体的な表現」と込められた意図
生活のリアリティを出すために表現された「具体的な表現」がスゴイです
目が覚めて涎を拭いたら
窓辺に光が微笑んでた
空の青 踊る緑の葉
畳んだタオルの痕
この後の歌詞とあわせて、五感を刺激するようになっているのも地味にポイントです
- ヨダレを拭く(触覚)
- 光、青、緑(視覚)
- サイレンの音(聴覚)
ちなみに「畳んだタオルの痕」という表現からは
「(自分以外の)家族の誰かが、洗濯物を畳んでおいてくれた」
ということが分かります。
家族の優しさが感じられる一節。
日常に隣接する死と、無事を願う祈り
1番の「穏やかで素敵な日常」の後に、曲の転調と共に現れる歌詞
救急車のサイレンが 胸の糸を締めるから
夕方のメロディに 想い乗せて届けてくれないか
救急車のサイレンとはつまり「誰かが事故にあった」ということを暗示しています。
※日常に隣接する「死」の気配が、星野源の曲ならではのスパイスです。
「自分の大事な家族が事故にあっていませんように」と無事を願う。
その願い(想い)がメロディに乗って「あの人(家族)」に届いてくれという意味だと解釈しました。
【まとめ】星野源のFamilySongに学ぶ生き方
喜びだけではなく、悲しみ、そして死の恐怖があるのが日常です。
そんな中、出来ることは
- 幸せが少しでも増えるように生きる
- 人生につきものの「悲しみ」を受け止めて、次につなげる
- 大事な人の幸せを祈る
ことだけです。
辛く、悲しいことが待っているのが人生。
そんな人生のリアルを受け止め、
それでもなお、
幸せに目を向けよう、
言祝ごう。
FamilySongはそんな風に思わせてくれた一曲でした。
※星野源さんの最新アルバム「POP VIRUS」に入っています↓
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