スタジオジブリ出身の米林宏昌監督の「メアリと魔女の花」ネタバレ感想考察です。
「色々と惜しい」本作。
その理由を考えてみました。
目次
メアリの人物像
主人公メアリは、冴えない女の子です。
- 初対面の人向けの自己紹介を練習する→「自分に自信がない」
- 人を手助けしようとするが、逆に迷惑をかけてしまう→「優しいが、どこかずれている」
- ピーターに赤毛を馬鹿にされてムキになる→「コンプレックスがある」
キャラクタの造形としては「眉毛の太さ」が印象的。
これは彼女の意志の強さを表しています。
メアリにとっての魔法とは何だったのか
そんなメアリは青い花(夜間飛行)によって、魔法の力を一夜だけ手に入れることが出来ました。
魔法の国(魔法大学)では、周囲から「称賛」を受けます。
コンプレックスだった赤毛も、この世界では「偉大な魔女の象徴」として扱われます。
そして、メアリは様々な賞賛を受けて「自分の力だ」と嘘をついてしまいます。
自信のない少年少女が褒められた時のリアルな姿ですね。
物語の最後、メアリはピーターと手をつないで魔法を唱えます。
このシーンは、天空の城ラピュタの「滅びの呪文バルス」のオマージュです。
「全ての魔法よ消えろ」
「魔法なんていらない」
この一晩の経験を通じて、メアリは魔法を捨て去る勇気を手に入れます。
自信のない自分が、周囲から称賛された「一晩限りの魔法」。
メアリにとっての魔法とは、「自信のない自分が、自信を持つための嘘」でした。
映画とは突き詰めると「異世界へ行って、成長して、現実に帰る」物語です。
「メアリと魔女の花」も同様です。
自信のない少女が、一晩の夢のような出来事を体験・成長し、日常に帰る物語でした。
メアリもこの一晩の経験を通じて、確かな自信を持って、日常に戻ってきました。
きっと明日からは「鏡の前で自己紹介の練習」もしなくなるはずです。
シャーロットおばさんと校長(マダム)の考える魔法とは?
この物語には、ドクター・デイを含めて4人の魔法使いが登場します。
ドクター・デイと校長(マダム)は、ほぼ同じ役割の人物として考えられますね。
重要人物は3名です。
メアリ、マダム、そしてシャーロットおばさん。
この3人の「魔女」と、青い花との関係は以下のとおり
- 青い花を使わないことを選んだメアリ
- 青い花に最後まですがったマダム
- 青い花の力を恐れたシャーロットおばさん
マダムにとっては、青い花は「最後まで希望」でした。
作品内で「それはいつか失われるもの」「制御しきれないもの」として扱われていました。
シャーロットおばさんにとっては、青い花は「人を狂わせるもの」でした。
強すぎるパワー(才能、希望)は「良い人」の心を失わさせるもの、と描かれていましたね。
これは、米林監督の思いが現れている気がします(邪推)
メアリが「魔法」と決別したこと、魔法を良いものとは描かなかったこと。
色々な意味に取れるかもしれません
- スタジオジブリという看板にはもう頼らない
- 科学が発達し、ファンタジーの時代はもう終わった(魔法の時代ではない)
- 宮崎駿や高畑勲の大きすぎる才能は、人を狂わせるものである。我々はそこと決別する
ラピュタ、ナウシカ、もののけ姫、魔女の宅急便、ハリポタを彷彿とさせるメアリ
ラピュタ、ナウシカ、もののけ姫、魔女の宅急便、ハリポタ…など様々な作品を彷彿とさせるシーンが多数ありました。
- 雲の上の大学(お城)&滅びの呪文は『天空の城ラピュタ』
- 動物たちの大群は『もののけ姫』
- 魔法使いの戦いは『ハウルの動く城』
- どろっとした水の表現は『崖の上のポニョ』
- 大粒の涙を流す少女は『千と千尋の神隠し』
- ピーターとメアリの男女関係は『耳をすませば』
また、普通の世界に住む人間が、魔法の世界(学園)に転入するのはハリポタ。
世の中に完全オリジナルな作品はありません。
どんな作品も過去の作品たちに影響を受けて成立しています。
今作もそこは非常に良かったと思います。
メアリの絵はジブリチックで良かった
「ジェネリックジブリ」なんてヒドい言い方もありますが、やはり「絵」は素晴らしかったです。
色使い最高。
完全にジブリを意識していましたけどね。
あと、米林監督の描く女の子の可愛さ(メアリ)は素晴らしい。
メアリと魔法との出会いは分かりやすく「箒」のアクションシーンでした。
さすがの浮遊感、動きの表現です。
一般的に映画では「最初は箒を使いこなせない→なんらかの成長によって使いこなせる」という段階を踏みます。
しかしその後、メアリは努力せずに箒を乗りこなしますw
これは物語としてどうなんだ…という感じはありましたけどもw
ピーターのキャラクタ弱すぎる問題
ピーターは一見「嫌な奴」です。
メアリのことを「赤毛の子猿」と言っています。
ただ、メアリが届けてくれた「ジャム」が好きというシーンから、「実は良いやつ」と判明します。
※誰かが作ってくれた食べ物を大事にする人に、悪い人はいない(理論)。
また、自転車に乗っている姿から、活発なことも分かります。
ただね問題があります。
それ以外の人物情報が何もないこと!!!
ピーターの人間性が一切見えないのです。
偶然巻き込まれただけ…という感じ。
なんらかの冒険に関わる動機がほしかったところです…。
米林監督は、思い出のマーニーのダブルヒロインのように、下手に男性キャラを出さないほうが生きる作家かもしれません。
フラナガン便利キャラすぎる問題
フラナガンは箒使いの稽古と、箒の管理をしています。
「箒に対する愛情が足りない」とメアリに怒ったように、箒への愛情があります。
ただキャラクタの印象はいまいち薄い。
オリキャラの動物で特徴がない。
ここは、「優しいおじさん」キャラにして、読者側の先入観でキャラを立たせるほうが良かったかも…
ただ一応、フラナガンは「空気が読めない厄介者」というキャラはありました。
※メアリに箒を渡してしまい「変わらないなあいつは」とマダムから言われるシーンから
しかしまあ結局、ただの便利キャラでした。
- 黒猫ティムを「使い魔」、メアリを「魔女」と勘違いし、「エンドア大学」につれていく
- 箒で帰る時には、箒を探して手助けしてくれる
- 味方がいなくなった魔法大学でも味方をしてくれる
ちなみに、フラナガンをもっと有効に活かすなら、「メアリがフラナガンを助ける」というシーンがあるべきだと思いました。
そうすることで、フラナガンがメアリのために箒を持ってくるシーンに「メアリの恩を受けて」という意味が生まれます。
なにか物足りない(面白くない)のは「葛藤が足りない」から
サクサク物語が進む半面、作品に深みが足りない(面白く感じない)のは何故か?
メアリに「葛藤」がないからです。
- 校長相手に嘘をつく時の葛藤
- 青い花を使う時の葛藤
- ピーターを助けにいく葛藤
普通は、「あちらを立てればこちらが立たず」の状況で思い悩みます。
しかし今回メアリの行動には、二律背反の中で「あえてそちらを選ぶ」場面がありませんでした。
それゆえ、シンプルに正しいことを選択していきます。
「おお、よく苦渋の決断をしたな!」という重みがない。
そのため、心に引っかからない=面白くないと感じてしまうと思います。
エンディングの「感謝」について
映画の最後では「感謝 宮崎駿 高畑勲 鈴木敏夫」という新しい表現があります
スペシャルサンクスでも、協力でも、原作でもなんでもないw
ジブリからの脱却とともに、ジブリへの感謝が「文字通り」現れています。
一番楽しい見方は以下のように勝手に想像することです。
- メアリ=米林監督
- 魔法の国=スタジオジブリ
- 魔法=ジブリの天才たちのアニメ