YoutuberのHIKAKINさんの人生には、大きな3つの岐路があったことに気づきました。
- 上京するか迷った高校時代
- 成果が出なくても努力していたサラリーマン時代
- 趣味のビートボックスでいくか迷ったYoutuber時代
図解すると以下の通り↓
それぞれ解説していきます。
※参考:200円の定食を4年間食べつづけた。ヒカキンが語るストイックなサラリーマン時代(前編)
目次
Youtuberヒカキンが成功するまでの人生の岐路
ヒカキンさんの人生を簡単に紹介します。
- 1989年 新潟妙高市で生まれる
- 2006年 陰キャ高校生。スキー部。Youtubeにビートボックスの動画を初投稿
- 2007年 高校卒業後上京して、スーパーで働く
- 2010年 「SuperMario Beatbox」で人気になる
- 2010年 ミフェル・ファンの講演会を聞き、Youtuberとしての動画投稿を開始
- 2012年 スーパーを辞めてYoutubeの給与だけで食べていく
- 2013年 「UUUM」を設立
特にこの2007年~2010年の間がポイント。
どのように成功したか?
人生の3つの岐路があったように思えます。
人生の岐路1:ヒューマンビートボックスのために上京する
最初の岐路での選択は「ヒューマンボックスのために上京したこと」でしょう。
高校卒業前、「上京し、ヒューマンビートボックスの道で有名になりたい」と親に話します。
親の返答は「働きながらでも夢は叶えられる。だから正社員になりなさい」というもの。
しかし、上京し働くことを選びます。
僕はその時1つの事を決めた。フリーターをしながら夢を追う道もある
でも、働きながら夢への努力を続けられるくらいの根性がないのならその夢は諦めよう
親との約束を胸に、は高校卒業と同時にスキーを引退し、上京
スーパーの社員として働き始めた
この時
- 大学生になる
- フリーターになる
- 実家で暮らし続ける
などの選択肢があったと思いますが、リスクを取って上京します。
人生の岐路2:大当たりするまで兼業で動画投稿し続ける
2007年から2010年のヒットまで3年間、サラリーマンと兼業で動画投稿をしていました。
人生の岐路2つ目は「諦めずに動画投稿を続けた」ことですね。
夜はビートボックスの練習と動画作り。社員寮に住んでいたのですが、そこが壁のうっすい、ワンルームの木造アパートで。隣の住人のくしゃみが聞こえるくらい、音が筒抜けなんです。迷惑だから声を張れなくて、よくちっちゃいユニットバスに入って、窮屈な姿勢で動画を撮っていましたね。
初任給は13万円くらい。1年目は動画を作るためのビデオとパソコンを買って、あとストリートライブをしたかったのでスピーカーも買って、10万円くらいしか貯金できなかった。
最低限の機材をそろえた翌年は、ひたすら貯めました。朝ごはんは、コンビニの肉まん1個。昼と夜は、社食で一番安い200円の定食と決めていました。冷たいご飯とぬっるい味噌汁におかずの定食を、4年間食べ続けた。
超ストイック。
そうやって少しずつ視聴者が増えていって、とうとう2010年6月17日、マリオビート動画がスーパーヒット。アクセスが急激に伸びていくのを信じられない気持ちで見ながら、僕はスーパーに向かう通勤電車のホームで、涙ぐみました。
あの喜びが、僕の原点です。
ヒットするまで投稿をやめないで大ヒット。
ここまで3年かかってますからね。
しかも日中は仕事しながらです。
人生の岐路3:人気Youtuberになるため商品紹介を始める
3つ目の大きな人生の岐路は、ヒューマンビートボックスを極める道に行かず、商品紹介を始めたことです。
2010年の大ヒットと、アメリカのYoutuberの話を聞いて、会社を辞める決意をしたヒカキンさん。
しかし、現実は甘くなかった。
2011年に行われた、「YouTube NextUp」プログラムという動画コンテストです。
受かるのは10組で、賞金が200万円。「これで会社を辞めて、YouTubeに専念できる!」と、結構自信を持ってコンテストに挑みました。
それが、ふたを開けてみたら10組の中に、僕は入ってない。まさかの落選です。
あの悔しさって、なんというか…。悶絶しながら、憎しみみたいのがわいてくるんですよ。特定の誰かへの憎しみじゃない。「ここにいる全員、抜いてやる! 僕は違う次元に行くんだ!」という、漠然とした怒りみたいなもの。めちゃくちゃ燃えたし、あのエネルギーはかなり長持ちしましたね。
負の感情がモチベーション!
「ここにいる全員、抜いてやる、ボクは違う次元に行くんだ」という台詞の通り、ヒカキンさん覚醒です。
超サイヤ人HIKAKIN。
ビートボックスは大好きですが、ユーチューバーのトップを目指す中で、これだけをやっていては長続きしないと思うようになりました。ビートボックスって基本、「この音、本当に人間が出してるの?」という驚きの目で見られます。「カッコイイ、すごい!」と感動してくれるファンもたくさんいますが、これだけで食べていくには、やっぱり難しいと感じました。
それだと収益化ができないので、きちんと広告を集められるオリジナルコンテンツを増やすことが必要と教えてもらったのです。
そこで2011年から商品紹介を始めて、ビートボックスだけじゃない、ブロガー的なユーチューバーを目指しました。
商品紹介を開始したことは慧眼でした。
また、既存の海外ファン対象の動画から、日本の新規ファン獲得に向けて舵を切ったのも大きな判断でした。
成功しているフィールドを抜け出すことを選んだのです。
そのころも、とにかく基本を実践して、トップクリエイターのまねをして、寝る間を惜しんで動画作りに励みました。そうやって3ヵ月くらい経って、気がついたらYouTubeからの収入が、会社員の給料を超えていたんです。
寝る間を惜しんで動画作りをしていたそうです。ここまで続ける努力がスゴい。
HIKAKINは「超絶努力した」&「今まで違うフィールドで勝負した」
人生の岐路で、「努力すること」「今までとは違うフィールドに挑戦したこと」が今のHIKAKINさんを作ったのです。
- 人生の岐路1:ヒューマンビートボックスのために上京する
- 人生の岐路2:大当たりするまで動画投稿し続ける
- 人生の岐路3:人気Youtuberになるため商品紹介を始める
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